台中生活

台湾で「外国人」として生活すること

台灣に来て約8年半になる。
僕の中国語は相変わらず進歩していなく、当ブログで書いた文章(中国語)を色々な方に訂正して頂いている。
僕が中国語の勉強を始めたのは10年以上前で、当時は地元(東京江東区)の文化センターで週1回の授業を受けていた。先生は天津出身で「反り舌」がすごかった。ピンインで言うと「r」「zh」「ch」「sh」の音がとても特殊でなかなか音として声に出せなかった。NHKラジオの中国語口座の先生より発音がすごかったのを覚えている。
早くマスターしたかったので毎日教科書を繰り返し声に出して読んだ。実家が狭い団地だったので母や妹からうるさいからあまり発音練習をしないで欲しいと言われ、団地内の階段に座ってボソボソと声を出して練習していたのだ。毎回授業の始めにその日勉強する内容を暗記して先生や生徒さん達の前で音読をするのが習慣になっていた。
その授業態度が認められて、先生から台灣に住む弟さんを紹介してもらい僕の台灣生活が始まったのだ。
それから台中の大学で1年半勉強して、お金が無くなったので現地で仕事を探して勤め始めた。就職先の台灣のローカル企業では僕が唯一の外国人だったせいか、あまり「外国人」として見られず、言葉のやりとりや電話の受け答えでとても苦労したのを覚えている。日々がサバイバルで皆が話す言葉に常に気をつけていないと自分1人がいつも置いてけぼりをくらう羽目になるのだ。
例1:お金が無かったので会社の寮に住んでいたのだが、寮に住む同僚から「もっと早く話して欲しい」とか「君と話をしていると疲れるよ」とか言われた。
例2:会社内でイベントがある時などは僕だけが当日になって、ようやくその事を知るという事が多々あった。
ようするに僕の中国語レベルが「普通に話をする」事と「皆が何について話をしている」かを理解するまでに至っていなかったためである。
この台灣のローカル会社には3年半いたのだが、会社という場所が自分の中国語能力とコミニュケーション能力を鍛える場所になっていたのは間違いない。皆が「日本人」と「日本の文化・習慣」を知らないということがどれだけ負担になるかを身をもって知ることになった。
今でもたまに僕と話をするのを避ける人がいる。つまり「外国人」が苦手な人である。
日本人が話す中国語はクセがあり、聞きづらいと思う人がいるからだ。とくに年配の方で外国人と接点がまったくない方でそういう人がいる。
言葉というのは人と人を繋ぐツールである。そのツールを常に磨いて、いつでも使えるようにしなくてはいけない。まだまだ勉強しなくてはと思う今日このごろである。我來台灣已經8年了,我的中文能力離開學校後沒有進步,透過有些人的幫忙(修改文章)我才會繼續寫文章。
我10年前開始學中文,當時我還住東京生活,每週去我家附近的文化中心上中文課,老師是天津人,她的發音對日本人而言非常特殊,我從來沒有做過「捲舌」,特別是「ㄖ 」「ㄓ 」「ㄔ 」「ㄕ 」的音說不出來,老師的發音和我常聽的NHK廣播的中文老師的發音差很多。
為了學好中文我每天在家朗誦教科書,因為我家是小公寓,我練習的聲音我媽與妹妹都聽得到,有一天她們抗議我的朗誦太吵,之後我在公寓的公用樓梯蹲著朗誦,老師要我每次上課內容背誦,我每堂課前在大家的面前背誦教科書的內容。
三年後老師介紹給我她的弟弟,她弟弟住在彰化,透過她弟弟的照顧才開始我的台灣生活。
來台灣後我去東海大學讀中文,三個學期後因沒有錢無法繳學費,開始找工作,找到的公司是一家台灣的企業,我是那家公司唯一的外國人,因此老闆,主管與同事對我的要求是和一般台灣員工一樣的水準,那時候我的中文程度無法接電話,但公司要求我要接電話或使用中文溝通,一不小心聽主管與同事的話,就常會麻煩。
例如1:我和同事聊天時,同事和我說「你要講快一點,太慢了」,「和你說話讓我很累」。
例如2:因為同事們的會話速度太快,而且他們常用台語我就聽不懂,有一天公司有活動節目,但我當天節目開始之前才知道那天有節目,沒有人通知我節目的事情。
畢竟那時候的我的中文程度不適合在台灣公司上班,基本的溝通「與同事溝通」和「聽懂同事或客人說什麼」我都不會。
結果,我從事那家公司三年半了,我習慣公司的文化與習俗的時候,我的溝通能力也隨著進步了,學語言最重要就是「環境」。
其實剛進去那家公司的時候,主管與同事們都不懂「日本人的文化與習俗」,但他們也逐漸了解我想說什麼,我想做什麼,台灣人的包容力比日本人很大。
目前我在日商公司上班,老闆是日本人,台灣同事們都了解日本人的習慣與日本企業的理念,這些事情讓我輕鬆,雖然我的中文發音不標準,但同事們都聽得懂我說什麼,他們透過與日本人溝通容易了解日本人的感覺與文化。
有時候遇到對外國人不敢溝通的人,這種人不想與我溝通,因為對他而言不懂我說什麼,因此他每次都找台灣的員工說話,那時候我才知道我還需要讀書。
我覺得語言是一種「工具」,人和人溝通的工具,不管在哪裡長大學好語言就和當地人可溝通,語言和刀子一樣,懶得磨刀子,刀子一下子會生鏽不能切,語言也一樣懶得學一輩子都不會講。
活到老學到老,語言是值得一輩子學。

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