前回彼女が経営していた「リサイクル店が閉店」した記事を書きました。
今回は彼女と彼女の娘である「天使」の二人が今までどのようにお店を切り盛りしてきたかを書きたいと思います。
「母娘二人のストーリー」
彼女は台北人。台北で生まれ、台北で育ちました。
結婚後、娘が生まれます。まだ赤ん坊だった娘が4ヶ月の時に脳の異常が発見されました。
それから彼女の娘は脳が麻痺した状態で育っていきます。娘は”話すこと”歩くこと””食べること”などほとんどの事ができません。そんな障碍がある娘を彼女の亭主と亭主の家族は嫌がったのです。それから亭主は娘がたまにひどい発作で病院に運ばれても、気にもとめなくなりました。そこで彼女は離婚を決意して、娘と共に台中に越してきました。
「台中に越してきた母娘」
母娘二人で台中に越してきたけど、どうやって生活していこう?娘の面倒を見るために会社勤めという選択肢はありませんでした。また娘を1人家に置いておく事も出来なかったので、彼女は自分でお店をやる事にしました。自分でお店を経営することで、子供を店において一日中世話できますし、子供の容態が悪ければ自分の勝手でお店を休む事もできます。つまりシングルマザーとして障碍を持つ子供の世話が可能な「店を経営する」ことを選んだのです。開店資金は彼女のお父さんを説得して出してもらい、沙鹿に「リサイクル店」を出しました。
一度はお店の引越しをして看板(フランチャイズ)を変えましたが、地道に商売をしていきました。
2年前、僕が彼女達と知り合った時は学生街から少し離れた場所で店を営んでいました。
「小さいお店」
お店の敷地面積は十数坪程度の小さいお店でしたが、彼女とアルバイトが一人いればやっていけるちょうど良い大きさのお店でした。
狭い店内に商品が所狭しと陳列していました。
ずっと1人でお店を経営してきたので、知り合った当時、彼女は少し疲れているようでした。
それでも母娘仲良く暮らしてきたことは一目瞭然でした。
「大きいお店へ引越」
彼女が加盟しているリサイクル店は台湾全国に展開していて、業界2位の規模を持つ会社です。このリサイクル店は台湾南部から起業して、北部、中部にフランチャイズ(以後=FC)を構えるようになりました。
しかし中部では彼女のお店だけしかない状態でした。以前は台中市内にも何店舗かFCの店があったのですが、この会社のシステムがとても複雑で、皆そのシステムについていけず、途中で契約を破棄してしまったのです。このリサイクル店が販売している商品は全て会員が家で使用していないモノを店頭に並べて販売しています。つまりお店は商品を陳列する空間を提供しているだけで、在庫を一切持ちません。その代わり会員と会員が持ち込んだ商品の管理がとても大変なのです。加盟した店主達はみなそのシステムの複雑さが嫌になりFCを解除してしまうのです。
去年の5月、母娘で細々とやっていたお店に、リサイクル店の社長がやってきました。社長は自分が投資してバックアップするので、もう少し大きい規模のお店をやらないかと持ちかけたのです。つまり彼女の店を大きくして、台湾中部のモデル店にしようとしていたのです。そうすればもっと中部にFC店を増やせるのではないかと社長は考えていたようです。
社長が見つけてきた物件は元々はレストランだった物件で1,2階合わせて120坪もある大きなお店でした。
1階と2階各60坪ある大きいお店でした。
店内を清掃して、お店に必要なケースや棚を作っていきました。
開店準備で疲れ果て、店内で眠り込んでしまいました。
開店準備が終わり、小さい店から全商品を運び入れようやくオープン。
写真はお店の商売繁盛を願いお祈りをしているところ。
こうして新しいお店としてリニューアルオープンしたのですが、1年後に残念ながら閉店してしまいました。
最後は社長に利用されて大事なお店を無くしてしまったのに、彼女は「今まで社長は私達の面倒を見てくれたから恨んでいない」と言い切りました。この”人の良さ”が彼女の魅力だと思います。そして彼女の周りにいる仲間達はそれを良く理解しているので、皆忙しい中駆けつけて助けてくれたのです。
6年間母娘でお店を構えてきて色々と苦労があったと思います。それでも二人で辛抱強く暮らしてきました。
今はただゆっくり休んで静養してほしいと思います。次のステップに備えて。上次我寫了「我女友的店結束營業」的事情,這次我寫了她和天使(她的女兒)的「開店奮鬥日記」
「她與女兒的故事」
我女友是台北人,她在台北出生長大。她結婚後生一個女兒,她女兒出生4個月的時候,發現腦部有異常。
之後她女兒的腦部像痲痹一樣的狀態長大,女兒不能“講”,“走”,“吃”基本的動作,她的丈夫和丈夫親族不接受這種小孩,有一天女兒發作嚴重送醫時,她丈夫不理自己的女兒,結果,她決心離婚而離開丈夫,她帶女兒搬到台中。
「單親媽媽帶女兒來台中」
她們來台中後她一直想「我們如何生活?」,因為她得照顧小孩,不能當上班族去上班,而且不能將一個不正常的小孩留在家裡,她只好開店做生意。她之所以開店做生意,是因為在店裡可以照顧小孩,而且如果她女兒身體不舒服,就隨時會可休店。
一個單親媽媽一面經營生活,一面照顧小孩子的方法,只是當老闆開店做生意而已,她請她爸爸出錢開一家二手店開始她和她女兒的生活。
她開店後曾經有一次搬店過,但為了活下去一直努力做生意。
2年前我認識她們的時候,她在離學生街有點遠的地方開店。
「開小間二手店」
那時候她的店是有十幾坪的空間,她和一個工讀生就能開店的大小。
很小的空間裡有很多商品上架。
我認識她的時候,因為她一個人一直做生意,因此她的表情看起來很累的樣子。
但看得出來她們的生活都很快樂。
「準備遷大店」
她加盟的二手店是目前全台展開,據說全台第二大的二手百貨,這家公司從南部開始發展,隨著公司的發展加盟店逐漸增加。
但目前在中部的加盟店只有我女友開的「沙鹿店」而已,之前台中市區也有幾個加盟店,但因為公司提供的系統太複雜,幾家店的老闆都不能接受,結果在台中市區的加盟店都解約了。
二手店賣的商品都是由會員從家裡拿來的東西,總而言之二手店只提供讓會員的東西上架的空間,店不需庫存,但每家加盟老闆得使用公司系統管理會員資訊和會員拿來的東西,系統裡的很多項目使加盟老闆傷腦筋,結果台中市區的加盟店都解約而獨立開店。
去年5月,二手公司的老闆出現在她孜孜矻矻地努力工作的店,老闆和她說「我幫你出錢邀妳開大店」。老闆想將她的店變大做成台灣中部的旗艦店,於是向台中地區促進增加加盟店。
老闆找到的地點是之前開餐廳的店鋪,這家店鋪的一二樓總共有120坪的空間。
一二樓各擁有60坪的大間。
在店裡先清潔後,製作玻璃櫃與化妝品櫃子。
天天準備開店,她累死了,在店裡沈入昏睡。
所有的商品從舊店都搬過來,就新店開幕!
開幕當天她在店門口拜拜。
終於成功遷大店,但沒想到一年後會倒店,很可惜。
最後她被老闆騙損失自己的店,但她說「我沒有恨他,因為這幾年他一直照顧我們」,她的這種想法就是她的“魅力”,她周圍的朋友們都了解她這樣的個性,因此她需要幫忙時她朋友不管是不是忙碌都過來幫她忙。
她帶特別的女兒開店開了6年,真的不簡單,在這6年的時間上發生了很多困難的事情,但她們一步一步地克服一切困難。
人生的路太長了,妳們需要休息,好好休息吧!
母娘の奮闘日記「母と娘の6年間」