海外生活の知恵

海外では伝えることが大切

みなさんこんにちは。
現在台中で生活をしていて、中国語を使う比率が日本語よりも多くなっています。
それは僕の家で日本語を使えるのが僕1人だけだからです。我が家では共通語として中国語を使用しています。多分僕がいない時は、台湾語がメインで使用されていると思います。
語学は「読む」「書く」「話す」「聞く」が基本になっていますが、海外では主に会話能力である「話す」」「聞く」が重要になります。

10年前は「聞く」と「話す」が大切だった

僕の例で言いますと、10年前に初めて台湾に来た時は
「聞く」と「話す」に重点を置いて生活していました。海外で生活するにはやはり会話能力が必須だからです。留学先の学校でも、短期で「聞く」と「話す」を勉強させるので、そのカテゴリーに沿った教材を使用していました。
当時すでに30歳を過ぎていた僕は、必死に勉強しましたが、なかなか言葉が頭に入らず、5分間会話をするだけで、頭がショートしそうでした。それは「聞く耳」がまだできていなかったためです。
例えば、現地の方と話をする時に、相手が話した言葉をまず脳で変換しようとします(中国語→日本語)、そして相手に返す時にまた変換をしてしまいます。(日本語→中国語)
この作業を5分間繰り返すだけで、かなり脳に負担がかかり、すぐに疲れてぐったりしてしまうのです。

言葉はやはり現場で鍛えられる

そして台湾に来て2年後、現地企業に就職して働き始めました。
その会社では、僕が唯一の外国人だったので、中国語で「読む」「書く」「話す」「聞く」が、少なくても普通にこなせるレベルを要求されました。
また同僚の台湾人の方たちは今まで、外国人と接触したことがない人ばかりだったので、求められるレベルがとても高いと当時思いました。
例を挙げるならば、
例1.電話がかかってきたら、積極的に取り、話を聞いてメモを取る。または誰かに繋ぐ。
例2.同僚とのコミュニケーションはネイティブのスピードで対応。遅いと相手をイライラさせてしまう。
電話を取るとたいていが台湾語で話しかけてくることが多かったので、すぐに中国語で「請稍等=少々お待ちください」と言って、側にいる台湾人同僚に電話を受けてもらえれば済んだので大した問題ではありませんでした。
しかし、現地の同僚とコミュニケーションを取る時に、相手が僕が対応するスピードでは満足いかない時は大変でした。
今でも忘れられないのですが、「お前と話していると疲れる」と言われた時はショックでした。この言葉はネイティブのスピードでないとお前とは話をしたくないと言っているのと同じことですから、言われたショックよりも、どうして対応すれば良いのかでさんざん悩みました。
これは僕の語学レベルがまだ十分ではない状態で、就職してしまったので、僕の方に落ち度があります。ただこれは人や環境によって対応が違うので、すべての人がこう考えているのではないことを添えておきます。
語学力不足を痛感したならば、勉強するしかないですよね。なので、僕は会社が終わると外人専用塾に行って社会人レベルの中国語会話を勉強して、他の時間は積極的に台湾人同僚(仲の良い)とコミュニケーションを取って自分の会話力を磨きました。
入社して一年くらい経った時点で、もう同僚たちと普通に会話ができるようになっていました。というのも彼らに僕の中国語レベルが浸透してきて、僕の言っている意味が多少分からなくても、言葉を拾ってもらえるようになったからです。この時は台湾人の懐の深さに感謝しました。まさしく「雨降って地固まる」ですね。

身近で使える環境が一番大事

そして僕にとって一番の転機は、今の彼女と同居を始めたことだと思います。まったく日本語が話せない彼女なので、自分の語学力が頼りなわけです。当初は口げんかをしても、中国語でやり返すことができなかったので、とても悔しい思いをしましたが、毎日ネイティブなやりとりをしていると、「話す」と「聞く」のレベルが格段に上がっていくのを自分でも体感できました。台湾人がよく外人たちに言う言葉の一つで、「中国語の上達をしたければ、現地の彼女を作りなさい」という言葉をよく聞きます。本当に理にかなっていると思いました。
それに、当時彼女からブログで何を書いているのかが知りたいから、ブログを中国語で書いて欲しいと言われて、中国語で書き始めたことで、「書く」ことも鍛えることができたのです。中国語での更新は現在で2年9ヶ月続いています。

伝える能力が大事

これは僕の考えですが、僕は能動的行動こそ価値があると思っています。
なので「話す」>「書く」>「聞く」>「読む」の順番で勉強する優先順位をつけています。「聞く」と「読む」は受動的な行動なので、テレビや映画で、現地の言葉を聞いて勉強したり、本や新聞を読んで語彙を増やすことができます。
しかし「話す」ことは自分の会話力がある程度のレベルまでいかないと、なかなか相手には伝わりません。特に普段中国語を話していない方(日常は台湾語を使用している方)と会話をして、伝えるのは骨が折れます。
また「書く」ことも、ある程度作文能力がないと、読み手に伝えたいことが伝わりません。
2年前、このブログで中国語で更新を始めた時にある友達から、何を書いているのかあまり分からない、と言われたことがあります。それでも僕は続けました。続けないと「書く」能力が向上しないのは分かっていましたから。
海外で外国人として生きていく上で、何を感じ、何を考えているのかを伝えなければ、誰も自分の事を分かってくれません。黙っていては何も伝わらないからです。
だから「伝える」ことが大事なんですね。

伝える能力が高い人は生き残れる

生き物は、自分の子孫を残すことで、命を繋げています。
なので「自分は他人よりも優れていますよ」と懸命にアピールやプレゼンをして勝ち取った物が生き抜いています。これは我々がいる社会でも同じことが行われていて、ビジネスではお客様に自分達の製品やサービスの優秀さをアピールして、購入してもらい、利益が生じて企業として生き抜いているんですね。
上記に挙げた「アピール」も「プレゼン」も全て「伝える」能力です。
僕は、自分を「アピール」するためにブログを作って更新しています。ブログというツールを利用して、自分の存在を読み手に伝えているのです。中国語で更新してから、さらに多くの方(ほとんど台湾人読者)に自分を知ってもらえるようになりました。
今は、情報過多な時代なので、個性や特徴がないと見てもらえないほどになりました。
そんな情報に埋もれることなく自分の個性を演出して、生き抜いていきたいと思っています。

大家好
我現在在台中生活上,幾乎都用中文溝通,因為我的家人都不會講日文,因此在我們家的「共用語言」為中文,可能我不在的時候,家人會用台語講話。

語言的基本動作就是「說聽寫讀」,像我外國人在國外時重視的語言能力就是「說」與「聽」。

剛來國外時最重要「說」與「聽」能力

我剛來台灣的時候重視學「說」與「聽」,不然一個外國人在台灣無法溝通的話,怎麼活下去?
在大學的華語中心也重視教會話能力,在大學的教材也大部份為以會話為主的

留學當時我已經超過30歲,頭腦的吸收能力不高,因此每天辛苦得學習中文,看國字比較簡單,但大家講的中文都聽不懂,有時候和台灣朋友聊了五分鐘就頭腦受不了,那時候我的聽力不夠好。

那時候的我的中文程度無法和當地人長時間溝通,聽了一句話的中文,我的頭腦馬上開始把剛才聽到的中文翻譯成日文,將我的頭腦回答的日文則翻譯成中文和對方回答,這樣翻譯動作讓我頭腦受不了,結果,聊了五分鐘就我的頭腦很累,無法繼續聊天。

學語言在現場學得比較快

來台灣兩年後,我進去一家當地公司上班,在這家公司裡我是唯一的外國人,而且大部份的同事都不會講日文,我得靠自己的中文能力和他們溝通。
因為很多同事從來沒有接觸過外國人,因此他們對我的中文能力要求太高了,我和他們說話時我一講錯或發音不對,他們就聽不懂我說什麼,而且公司也對我的要求和一般當地員工同樣內容。

例如
1.公司的電話響起來時,我要接電話幫同事寫筆記或交給同事

2.和同事說話時我的會話反應不快,就一些同事會生氣放棄和我溝通

那時候打電話進來的人都會講台語,我一接電話就向對方說「請稍等」,馬上把電話交給當地同事就沒問題,但一些同事不接受我的會話速度,這問題比較嚴重,因為在工作上需要和同事多多少少的溝通。

那時候有的同事和我說的一句話,讓我永遠忘不了,他向我說「和你說話很累
他說的意思就是我的中文能力還不能和他會話,我聽他的一句話後,一直想我怎麼和他們溝通才好?

為了提高中文能力,我下班後去補習班開始學中文,除了學中文之外,有空就去找朋友聊天訓練自己的會話能力。

進來公司一年後,我和同事溝通都沒問題,因為他們已經習慣我的會話能力程度,他們如果我說的意思不太懂,他們可猜出來我到底說什麼,那時候我感到台灣人的包容心,讓我覺得我來台灣沒有錯。

不論學什麼,環境最重要

我學中文的轉捩點就是遇到現在交往的女友,因為她不會講日文,在生活上需要的溝通要靠自己的會話能力,有時候我和她吵架,每次吵架我都輸了,因為她講的速度很快,我跟不上她,但交往幾年後,我逐漸跟上她講話的速度,那時候我也可反擊她,透過和她同居生活,我的會話能力提升了。

我剛來台灣的時候,遇到的台灣人都說「如果你要學好中文,要交當地女朋友就可學好了」
那時候我不相信他們說的話,但現在我才了解這句話是沒有錯。

而且我女友要求我用寫中文更新部落格,這樣她才可讀我寫的文章內容,目前我用中文更新部落格已經2年9個月了,透過部落格把我的作文能力也加強了!

傳達能力是一個武器

我認為對學語言而言,「主動行動」是最有價值,因此語言的「說聽寫讀」裡,我重視「說」與「寫」。
「聽」和「讀」是被動的行動,他人做的東西(例:電視節目/YouTube/書籍和報紙等)接受的行為而已。

但「說」=會話能力的話,沒有基本能力就無法和人溝通
我的經驗來講,在台灣和平常講台語的人用國語溝通較不順,對方聽不習慣外國人的發音,而且對方的中文發音聽起來怪怪的,因此我覺得「說」較難學。

「寫」=作文能力也不好學,如果沒有作文能力的話,無法讓讀者了解文章內容。
兩年前我剛開始用中文更新部落格時,有人看我寫的文章就和我說「你到底寫什麼?」,但我一直繼續寫文章,不然我的作文能力怎麼進步。

擁有傳達能力,在這社會才可活下來

生物誕生之後一直和對手競爭,為了繼承生命,生物要呼籲「自己比他人更優秀」,透過和對手競爭,
只有優秀的生物才可活下來繼承下一代,這種競爭目前在我們社會上也有發生,每個企業呼籲「我們提供的產品或服務為最好的」,受消費者的歡迎的企業才可成長而活下去,被打敗的企業要淘汰,這是我們社會和自然都有發生的。

我認為「傳達能力」為在社會上很重要的能力之一,目前隨著網路的發達,每個人都可參與SNS(例FaceBook/LINE/Twitter等),這些網路工具雖然很好用,但PO上去的資訊一段時間後就不見了,大家可參與的意思就是產生個人資訊過多,你會不會想看「幾天前」,「幾個禮拜前」,「幾個月前」的朋友資訊?,個人生活的新鮮期是有限的。
但在部落格裡的文章都不會不見,如果部落格文章有價值的話,不管過了多久,讀者透過Google會進來部落格看文章。

這幾年在日本寫部落格的「部落客」逐漸增加,大家都知道把自己的想法和觀念透過網路傳達是很有價值,目前有很多種的部落格出現,為了自己的發展,我想把自己的傳達能力好好訓練!


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