人とのつながり

27年前のサヨナラ

皆さんこんにちは。
日本ではお彼岸ですね。昨日は秋分の日でお墓参りに行かれた方も多かったのではないでしょうか。実は弟の命日が今日なので日本に居ればお墓参りに行っているんですが、出来ないのでいつも日本への出張がある11月に会いに行ってます。
弟は僕が13歳の時に生まれたのですが、心臓に病気を持っていました。生まれた病院(江東区)では心臓の手術ができなかったので、世田谷の小児科病院に移され手術を行いました。手術に大量の血液が必要で父は職場の同僚に声を掛け病院に来てもらい血を分けてもらいました。多くの人に助けて頂いたのですが、残念ながら弟はわずが7日間で天国へと旅立ってしまいました。
我が家にとってあの1週間はとても慌ただしい7日間で、出産の歓喜から、病気の告知、そして小児科病院への転院、そして手術、と毎日が急展開でした。常に弟に付き添っていた父は大変だったと思います。
僕は弟が生まれたと喜ぶのも束の間、病院から帰ってきた父から弟の病状を聞かされとてもショックでした。泣く所を見られたくなかったので、風呂場に行き浴槽に顔をうずめてひたすら泣きました。涙の雫が浴槽の底にポタポタと落ちる光景を今でも鮮明に覚えています。
ちょうど多感な年頃だった僕は弟が出来た「喜び」から家族を失う「悲しみ」を短期間で体験したせいか、その7日間の事は今でも忘れられません。
弟が亡くなった当時、我が家にはお墓がなく小児科病院の近くにあるお寺でお骨を預かってもらっていました。それから数年はこの時期になると家族で世田谷に出かけ弟に会いに行っていました。
弟が亡くなって10年近く経ったある年、抽選で都市霊園のお墓が当たり、弟はそこのお墓に入ることができました。
もうその頃には父も母も弟を亡くしてだいぶ月日が流れていたのと、やっとお骨をお墓に入れることが出来た達成感からかあまりお墓参りをしなくなってしまいました。これも自然な流れだと思います。
でもあの7日間の記憶が未だに鮮明に残っている僕は弟を忘れられず、働き始めてからも毎年秋の彼岸に弟に会いに行きました。
生活の基盤を台湾に移してからは日本に帰国した時には必ずお墓参りをするようにしています。今年も桜が咲く素晴らしい時期にお墓参りをすることができました。

弟の事を想う時いつも中島みゆきの「誕生」の歌詞を思い出します。
「Remember 生まれたこと Remember 出逢ったこと 
 Remember 一緒に生きてたこと そして覚えていること」
人は死んでしまえばこの世からいなくなってしまいますが、その人のことを覚えていれば心の中で共に生きることができます。弟は僕の心の中で僕と共に生きているのです。彼は今年で27歳になりました。
「忘れない言葉はだれでもひとつ たとえサヨナラでも 愛している意味」
27年前、弟と別れる時に言った「サヨナラ」。その言葉は時を経て「今でも覚えているよ。そして今でも愛しているよ。」という意味に昇華しました。
南国台湾でも最近は秋らしくなり、秋風に吹かれるとあの季節が来たのだと思い起こされます。弟が天国に旅立ち、そして僕の心の中で生き始めた季節が来たのだと。大家好
昨天23日是日本的一個假日「秋分之日」,在日本夏天和秋天中間的時間叫「彼岸」,冬天和春天中間也是「彼岸」,「彼岸」的時候大家去掃墓拜拜祖先,我在日本時每個「彼岸」都去我們家的墳墓拜拜,因為我們家的墳墓裡有我的弟弟。
我十三歲的時候我弟弟出生了,他的心臟有問題,醫生說需要開刀,剛出生的嬰兒需要手術,醫生說的一句話讓我們難過,我家附近的醫院沒有嬰兒專業的醫生,剛出生的我弟弟移到世田谷的小兒科醫院,心臟的手術需要很多血液,我爸爸跟公司同事聯絡,請O型血液的同事來醫院血液給我弟弟,很多人來醫院幫忙我弟弟,但我弟弟出來這世界只有七天就過世了。
對我們家而言,這一個星期七天的時間是不可言喻的時間,弟弟出生的欣喜,醫生說的心臟病的告知,移動到小兒科醫院,請爸爸的同事來提供血液,開刀等・・・。
那時候我是青春成長期,這些事情的影響很深刻,我弟弟出生讓我很高興,但隔天聽到他的心臟問題使我非常難過,我不敢在媽媽的面前哭,因為我媽比我更難過,我離開醫院回家後在浴室偷偷哭。
在這一個星期的時間我體驗了「高興」與「難過」的感情,以後忘不了這一個禮拜的事情。
我弟弟過世的時候,我們家沒有墳墓,因此請小兒科醫院附近的寺廟把遺骨保管,以後秋天的「彼岸」時我爸媽帶我和妹妹過去寺廟拜拜我弟弟。
我弟弟過世了十年後我門家中獎了都市靈園的墳墓,我弟弟終於可進去我們「大沼家」的墳墓。
我弟弟的遺骨放入墳墓後,我爸媽不常去掃墓,因為我弟弟過世了已經十年了,準備了墳墓讓我爸媽覺得父母的責任都做好了。
但這七天的回憶我還記得清楚,大學畢業進入社會後,我還是每年都去掃墓拜拜。
來台灣定居以後我回日本時才會去掃墓,今年四月開櫻花的時候我去掃墓了。

我想到我弟弟時每次想聽中島美雪的歌曲「誕生」。
誕生歌詞
「別忘記 你來到了人世 別忘記 你和我相遇 別忘記 我們一起生活的點點滴滴 以及曾擁有的一切回憶」
人過世後那個人的存在都沒有了,但有人還記得那個人的存在就是記得人的心裡上可一起活下去,我弟弟在我的心裡上和我一起活下去,他今年二十七歲了。
誕生歌詞
「在每個人的心裡至少有句難以忘懷的話把 就算是「再見」這兩個字也包含著濃濃的愛意」
二十七年前我向我弟弟說的「再見」兩個字,隨著時間變成「弟弟,我還記得你,我還愛你」。
台中最近溫差很大,感覺和日本東京的秋天同樣,這種天氣讓我想起來27年前的回憶,我弟弟過去天堂,而他進來我的心裡上,和我一起活下去的季節。
※中文歌詞部分宋竑廣先生的部落格來寫的

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