この間いつも天使の世話をしてくれている保母さんから、文章(中国語)を書いてほしいと言われました。なんでも沙鹿地区の保母さんを管理している大学が季節ごとに発行している「季節報」の記事で自分の文章を載せることになったのだそうだ。
だったら自分で文章を書けばよいのでは?なんで外人である僕に頼むのだろうか?と考えてしまいましたが、その保母さんが言うには自分は小学校しか出ていないから、文章をうまく書けないのだそうだ。毎回このブログで僕の文章(中国語)を読んでいて、ぜひ私の代わりに書いてほしいと言われたので引き受けることにしました。
僕は保母さんのお宅に行き、彼女に今回文章にしたい内容を語ってもらい、僕はそれを聞きながら文章を書いていきました。まずは日本語で文章を作成していき、日本語の原稿を中国語に翻訳していきます。ここでは日本語の原文を記載します。
「私と天使」
私が初めて天使(陳梓宜)に会ったのは、この子の母親が経営している店の店内だった。その時天使はベットの上でバタバタ体を動かしていた。小さい子供の面倒をみたことは今まであったけど、こういう障碍を持った子に接するのは初めてだ。
天使の母親と話し合い、この子の面倒を見ることを引き受けた。この子の母親が海外に旅行に行くため、今回1週間ほど面倒を見ることになった。最初はどうやって世話をすればいいのかとても悩んだ。
一日目、天使を家に連れて帰り世話をした。天使は自分で食べることができないため、食事を食べさせなくてはならない。野菜や肉を細かくカットして、スプーンですくって天使の口に運んだ。私は初めての経験だったので、正直ハラハラしながら食事を与えた。
夜になり、天使をベットに運んで寝かせたが、寝てくれない。相変わらずベットの上で体をバタバタさせている。やはり普通の子供とは全然違うのだ。
一番大変だったのは3日目。天使は急に発作を起こした。体が硬直して痙攣を起こしている。母親から発作の事は言われていたが、急に起きたのでとても驚いた。正直どう対処すれば良いのか分からなかった。ただ母親から渡された薬を飲ませて、様子を見た。しばらくして天使は少しずつ安静を取り戻した。今でもこの子が発作を起こしている様子を思い出しただけで心が苦しくなる。
天使は普段学校に通っている。私は朝になると天使を車で学校まで送った。障碍を持った子供達の学校に行くのは初めてだった。たまたま学校で催事があって私も参加した。天使達(障碍を持った子供達)と一緒に時を過ごした後、この子達への見方が確実に変わっていくのが自分でも分かった。以後私は時間があれば天使達の学校に行って積極的にこの子達と接するようにしている。
私が自宅で天使の世話を見ている時に一番有り難かったのは私の家族が積極的にサポートしてくれたことだ。私の息子や娘は初めて障碍を持った子供を見て驚いたと思うが、世話を一緒にやってくれた。この事が私を精神的に楽にしてくれた。
天使の世話をしている時にこんな事があった。親友が私の自宅に訪れた時だ。彼女は私が天使を世話している様子を見てこう言ったのだ「この子の世話をする時は手袋をしたほうがいいわよ」「この子の母親はもう帰ってこないんじゃないの。きっとあなたにこの子を押し付けて戻って来ないわよ」。
また天使を車椅子に載せて散歩に出かけた時に、道ですれ違った人達の目線が冷たいのが分かった。なぜみんなこの子の事をそんな目で見るのだろうか私は不思議だった。
私はこう思う。自分の子供や孫に与える愛情をこういう子供達にも分け与えても良いではないか。この子達だって愛情を受ける資格はあるのだから。
この子は本当に不思議な子だと思う。家に来てすぐに我が家の人気者になってしまった。娘たちもこの子を気に入ってくれて一緒にお風呂に入って頭や体を洗ってくれた。義父もこの子が気に入り、この子の側で一緒に座るようになった。そうなのだ私の家族はみなこの子の事を大好きになっていたのだ。
万能の人間がいないように、全てを失った人間もいないのだ。この子は話すこと、歩くこと、食べることができないが、いろんな人を引き付ける不思議なチカラをもっているのだ。私とこの子が出会ったのは「縁」があったから。大きな「愛」という名の縁で私達は繋がったのだ。
あなたにももしかしたら私が体験したような素敵な「縁」があるかもしれない。ちょっとした勇気と愛情があれば、きっとあなたにも素敵な出会いがあるはず。
今台湾では保母の資格を持っている人がたくさんいるけど、障碍を持った子の世話をする人は少ない。この「季節報」の記事は障碍や問題を持った子達とのふれあいをテーマにしている。なので最後の一文はそういう子供達とまだ関わったことがない保母さんに向けて送った言葉である。
他の保母さんが書いた記事も掲載されていて読みましたが、結構ヘビーな内容で台湾の保母さんは大変だと思いました。子供に障碍があっても幸せに暮らしている家庭もあれば、子供が正常でも不幸せな家庭があるということ。
保母さんが切実に綴った文章読み応えがありました。また機会があれば文章を綴ってみたいと思います。我和我女友有時候請保姆照顧天使,那位保姆阿姨個性很好,她很喜歡我們家的天使。
上個月那位保姆阿姨和我聯絡,她說「你可不可幫我寫文章?」,因為她經過沙鹿的保姆系統認識我們,她要把照顧身障小孩的心得提供沙鹿保姆系統(弘光科技大學),保姆系統編輯這些保姆寫的文章做成季節報。
我一聽她說的話,就懷疑她為何親自不寫文章?為何請外國人寫中文文章?保姆阿姨說她的學歷只有國小畢業而已,自己的兒女長大後才可去國中上課畢業的,因此她不能寫文章,而且她總是看我的部落格,她喜歡我寫的文章,所以她請我寫文章提供保姆系統。
我和我女友去阿姨的家,請她說照顧身障小孩的心得,我邊聽她說的話邊寫文章,我先寫日文文稿後翻譯成中文,中文文稿分享大家。
這篇文章是一位保姆遇到身心障礙的小孩的故事,「我和慢飛天使」
我第一次認識身障的小孩,小孩的名字是“陳梓宜”9歲的女孩子,她的媽媽開二手店一個人照顧梓宜,這小孩腦部有問題,不會自己吃飯,走路和講話什麼都不會做,這個小孩有9歲的身體,腦部發育卻只有2-3個月大嬰兒程度。
我看到她的時候,她躺在床上一直動來動去,我曾經有照顧過別人的小孩,但從來沒有遇到這種身障的小孩子。因為梓宜的媽媽要出國旅遊,因此她需要照顧小孩的保姆,她離開台灣的時間是一個禮拜,我與身障的小孩一起過一個禮拜的時間,我應該怎麼準備才好呢?
從第一次見面到媽媽出國約有1個月的時間,這段時間我有再去和媽媽會談了解梓宜平常的生活所需並且去梓宜的學校見習,看看梓宜在學校的生活情況以及如何餵食,因為我一直很擔心梓宜"吞嚥"的問題,媽媽也有告知梓宜有"癲癇"的病況,同時我也和家人討論這樣的孩子來我家會面臨到那些問題,需要大家配合來照顧這樣的孩子。
梓宜平常去學校上課,早上我開車載她送學校,我第一次進去身心障礙兒童學校,剛好那天學校有活動,我參加這個活動,經過學校的活動後我對她們的想法改變了,雖然這群身障小孩,成長進步比一般小孩慢,但關心和照顧是和正常小孩一樣的,讓我覺得有空時盡量去學校與天使們互動。
我在家照顧梓宜時最讓我開心的事情就是我家人都積極地幫忙,我的兒女第一次遇到這種特別的小孩,但她們總是和我一起照顧天使,她們的幫忙使我的心情輕鬆很多。我也知道如何幫助梓宜進食,洗澡.玩樂.也看到梓宜"癲癇"的發作,雖然有聽到媽媽說過發作的情況,但沒想到看到實際情況的發生,讓我非常心疼,一般人腳抽筋是一件很痛的事,但這孩子發生的是全身抽筋,她所承受的痛是多苦呀。
另外梓宜也讓我看到不同的人性,我的好友來我家時看到我照顧梓宜的畫面,她和我說「照顧這種小孩時你要裝手套碰她較好」,「這小孩的媽媽應該不會回來台灣,她媽媽把小孩丟給你.....」一些負面的話語及口氣。
有一天我推梓宜外出散步時,路上遇到的人的視線都冷冷淡淡的,為何大家對這種小孩的態度這麼無情,我認為大家應該多瞭解這種特別的小孩,把自己對兒女一樣的愛分一些給與這些身障的小孩,她們也有被愛的權利。
我覺得梓宜是一個不可思議的小孩,她住在我家的這幾天,我的家人都喜歡她,我的兒女也喜歡她,我女兒帶她一起洗澡,幫她綁頭髮編辮子,我的公公也喜歡她會陪伴在梓宜身邊跟梓宜玩樂,梓宜不知不覺融入了我的家庭。
這世上沒有全能的人也沒有無能的人,雖然梓宜跟嬰兒一樣什麼都不會,但她擁有不可思議的魅力和人綠,遇到她的人都會喜歡她,我和她就是有緣份才會認識。
可能你也有像我一樣特別的緣分,多一點勇氣和愛心,你也會有一段屬於你自己的邂逅幸福體驗。
雖然目前台灣的保姆不少,但有照顧過身障小孩的保姆不多,保姆系統季節報的題目是對和有身障與問題的兒童相處,因此文章最後的一句是針對從來沒有接觸過這種身障的小孩的保姆寫的。
我看了別的保姆寫的心得文章,其實每個保姆都有在和小孩相處上的辛苦,有的家庭有身障的兒童,但不一定會辛苦,反而有正常的小孩的家庭也不一定會幸福,在季節報上的每篇文章都又好看又感動。
下次有機會的話,我想再寫對身障小孩的心得文章。
保母さんセンターの季節報に記事を投稿した話