帰国日記 旅行に行ってきた

桜島と墓参り

Yさんと会ったのは僕が大学を卒業して就職したスーパーだった。横浜から数キロ離れた街にある小さいスーパーで僕は毎日魚を切っていた。先輩や職人さんとウマが合わず度々衝突した、というかいじめられた。
そんな時惣菜部で働いていたYさんはよく僕の愚痴を聞いてくれた。とても面倒見の良い人で僕が近くの店に転勤した後もよく電話をくれたり、休みの日には食事に誘ってくれたりした。
いつも人懐こい顔で「大沼ちゃん」と僕のことを呼んでくれた。
それから1年後僕は転勤で鶴見店(神奈川)の鮮魚部のチーフになり、Yさんは会社を辞めて埼玉の方に引越をしてしまった。それっきり連絡がぷっつりと切れてしまった。
ある日の深夜、突然電話が鳴った。電話に出てみると知らない男性からだった。内容はYさんが自ら命を絶ってしまったということだった。電話の主はKくんといって彼もYさんによくしてもらったそうだ。年齢は僕と同じだった。
翌日僕らは埼玉で集合することになった。集まった人たちはみんな僕と同年代で彼らは大学生の時にYさんがラーメン屋で雇われ店長をしていた時にバイトで働いていて可愛がってもらったそうだ。
僕たちはお互いに自分とYさんの関係を説明して故人を偲んだ。
それからもう11年が経ってしまった。今でもKくんとは連絡を取っている。Kくんはあの日僕らが最初に出会った時にいた女性の一人と結婚して子供もいる。月日が確実に流れているのだ。
僕は今回初めて鹿児島に行った。ぜひYさんのお墓参りをしたかったからだ。Yさんのご両親は相変わらずお元気で僕を快く迎えてくれた。Yさんのお墓は現在ご実家から近くのお寺の中に納められていた。今年の7月にこのお寺に移したそうでタイミング的によかった。
Yさんのご両親は僕をお寺まで連れて行ってくれました。そして焼香した後、近くにある地元のデパートの食堂で食事をご馳走してくれました。食事をしながら鹿児島や桜島についての話を色々としてくれました。Yさんがこの地で生まれ育ったのだとイメージすることができた。
Yさんのご両親は何度もこんな遠い所まで来てもらって有難いとおっしゃってくれましたが、僕はYさんが僕にしてくれたことをいつまでも感謝しているし、これからもその思いを大切にしていきたいと言ったら、Yさんのご両親が喜んでくれて、特にお母様が喜んでくれて、僕はその喜んでくれた顔を見た瞬間にここまで来てよかったと思いました。
デパートの食堂は最上階にあってそこから桜島が一望できました。景色を楽しみながら食事をしていた時にYさんのお父様が「噴火したぞ!」とおっしゃったので見てみると確かに山頂から煙が上がっているのがハッキリ見えました。しかも続けて2発。偶然にしてはできすぎではいるけれどYさんがもしかしたら何か合図をしてくれたのかなと思ってしまった。
Yさんが僕を鹿児島に導いてくれたのではないかと感じた。そして鹿児島の人の温かさを改めて感じた。

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